私は5年生で計算と漢字をがんばりました。漢字テストは毎回満点を目指して勉強し、計算問題集は遅れないようにがんばりました。
そして土曜日はみんなよりも1時間早く塾に行って自主勉強をしていたことで集中力が身に付きました。
この3つを続けたら週テストの認定コースが2つ上がりました。 授業にも慣れて土曜日の長い時間の授業が短く感じるようになりました。
そのおかげで、週報の成績優秀者に名前がのるようになり、その中で1位になれたこともあり、自信がつきました。6年でも計算、漢字、自主勉強を大事にして続けていきたいと思います。
ぼくは、五年生で算数を頑張りました。算数では自分の得意なところと不得意なところが、はっきり分かれていたので、自分が不得意な単元の問題では間違えたら解説を見て理解し、ノートに解き方やポイントをまとめて書いたりしていました。
そのこともあって、ずっと週テストのコース認定が同じままだったのが、五年生の最後のテストで一つ上のコースに上がることができました。
国語は、算数に比べると得意な科目だと自分では思っていたので、もっと磨いて算数や理科の苦手な部分をカバーするために努力しました。六年生では全教科が得意になるように自習などを頑張っていきたいです。
苦手なことに対して、いろんな工夫を考えて実行することが大切です。あなたが不得意なことや、間違ったことに対して立ち止まることができるのは、すばらしいことです。きっとあなたは、勉強を「知っているかどうかを人と競うこと」とは考えず、「自分を磨くこと」と考えているのだと思います。また、あなたは「自分が分からないことにこそ興味がある」のだと思います。苦手なことを「めんどくさい」と思わず、「自分が分からないこと」を追究できるあなたは、もっともっと伸びていくことでしょう。あなたらしい勉強を最後まで貫いてください。応援します。
選抜クラスに入るために大勢の友達のなかで競うタイプでなくても、個人塾では基礎と定着させたり、自ら考えて解く時間を確保したりして、しっかり伸びることができます。小学生のうちに、良い勉強姿勢を身につけるためにこそ、中学受験にチャレンジされることをお勧めします。
僕は5年生の時に、国語の成績がとても上がりました。
その理由は、塾の本を読んでからそれまできらいだった読書が大好きになり、5年の一年間でたくさんの本を読んだからだと思っています。
6年生では算数をがんばりたいです。5年の時は算数のわからない問題をもっときちんと質問していきたいです。そして志望校に合格できるようにがんばりたいです。
国語が得意になると、算数の文章題の意味がきちんと分かるようになります。文章題の中で何が分かっていて、何が問われているか。それらがどんな理屈でつながっているか。あなたには、きちんと理解する力が備わっていますよ。 算数は数や量の関係を図にすることで、全体像をとらえて理解する科目だから、算数の問題は、「前にどう解いたかな」と思い出して解くのではなく、問題文の意味を正確に図にして解くものです。算数の問題文の意味がつかめたら、それをどんな図にしたらよいか納得できるまで考えてみてください。国語の力と算数の力は、互いに補い合って、あなたの考える力を高めてくれるのです。何事も「難しい」と思った時点が、スタートラインです。あなたが目標とするゴールまで一緒に走りぬきましょう。
算数と国語は、お子さんの考える力そのものを育てる教科だといえます。だからこそ、算数と国語の力は、「習ったからできる」「反復する量をふやして訓練する」学習によってではなく、文章の展開をきめる文脈を整理したり、いくつかの数量の関係の全体像を図示によってつかんだりする「自ら考える学習」によって伸ばさなくてはなりません。
大量に反復させる学習では、よく分かっていないまま反復しているということすらあり、上のような学習ができなくなっていることがあります。そのため、前に習ったことの記憶に頼るばかりで広範囲からの出題に対応できなかったり、基本から応用するという思考が育たなかったりすることがあります。塾は子どもが「自ら考える」という経験を積むことができる場であることが重要であると考えます。
僕は5年生の国語の週テストの点数がとれなかったので、自習時間に授業テキストとは別のテキストをもらって勉強しました。
家では理科の宿題以外に問題集の応用問題を自分で解くようにしました。だから理科の週テストでは必ず8割以上はとれました。
6年生ではもっと国語を頑張って、質問もできるようにしたいです。
国語力は、相手の心を理解する力とも言えます。あなたが成長して、少しずつ大人に近づくにつれて、少しずつ相手の心が理解できるようになってきます。
あなたは受験勉強の中で苦手なことに向き合い、つらい気持ちも経験しましたね。そのあなたを見守る両親の心にもあなたをいつも思う尊い気持ちがあります。また、世界のどこかには、あなたのようにつらいことに挑戦している誰かがいることでしょう。 世界は、たくさんの気持ちが想像しあったり、つながりあったりしてかたちづくられています。自分の考えや気持ちと、相手の考えや気持ちが、理解し合うためには、かならず「ことば」と「理屈」が必要となります。「ことば」はそれが使われる文脈とともにあり、そのいちばん大きな広がりが「社会」であり、「時代(歴史)」です。そのような物語や新聞の文章で使われるような「書きことば」をたくさん知り、そうした「ことば」で表現される内容を「理屈」を考えて整理する力をつけることで、相手の考えや気持ちを理解し、自分の考えや気持ちを表現できる国語力を身につけることができます。自分の心を一歩一歩成長させるように、国語の勉強をしていきましょう。
算数の世界は、より抽象的になる数学に入る以前の段階なので、自分の頭の中に生得的に備わっている考えを確かめるように理解できます。お子さんにとって、りんご1個とみかん1個をあわせて2個になることも、ボックスティシュの箱が3種類の長方形の面が2枚ずつでできていることも、一定の速度で走る電車があと何分で次の駅に着くことも、だれに確かめなくても、独りで考えて「当たり前」だと納得することができます。 これが国語となると、家庭と学校という生活空間のなかで満ち足りた「子どもらしい、健全なお子さん」ほど、国語(日本語)が話されてきた社会や歴史といった、大人が共有する社会常識をもとにして語られる文章をまえにして、「話についていけない」という感覚をもつことになります。
「国語力」を高めるためには、子どもに「大人のことばや理屈」にふれる経験をさせて、それを身につけさせていくしかありません。生活のなかでは「子どものことばや理屈」に寄り添って気持ちを共有していく一方で、学習のなかでは、子ども向けでも、大人も学ぶことのできる普遍的な主題をもつ本を読ませたり、大人である親や教師の人生観を聞かせたり、様々な考え方や理解の土壌である歴史や社会を学ばせたりして、広い世界を知らせ、そこに知的な自由や社会の矛盾が存在することに気づかせて、子どもの内面の成長をはかることが、中学受験の国語の出題で求められる「国語力」を育てることにつながります。
では、最も基本的な「国語力」とはどういうものでしょうか。たとえば、物語の作者が作品の冒頭に「外から雨音が聞こえていた」と書いたとします。そう書き出した瞬間に、作者の頭の中では、主人公は今どこで何をしているのか、そもそもどんな人物なのか、次々に書かねばならない情報が立ち上がってきます。もし主人公は「学校の窓から外を見ていた」と書き進めたなら、「学校」という社会的な文脈(共通認識・慣習)のなかで、主人公の属性(生徒なのか、先生なのか、あるいは、学校関係者ではないのか)・人間関係、さらにそこから生じる出来事・各人物が抱える状況へと物語を展開させなければならなくなります。このような社会的な共通理解と物語の展開によって次々と生まれる「文脈」は、書き手と読み手の双方を制約し、「先に書かれる」ことを予期させたり、それを裏切ったりしながら進んでいきます。
「書くこと」と「読むこと」は本来同じ、文脈の展開という原理を持つといえます。「読む」ということは「書き手」と思考を一体化させながら、「これ以外にはない」と言えるほど客観的な「文脈」という道筋を踏み外すことなく、「書き手」と一緒に歩く行為と言えます。この客観的な文脈をつかむ力が、もっとも基本的な意味での「国語力」です。
小学生が大人向けの文章を読むためは、子どもが、大人である作者と思考を一体化させながら、大人の間では客観的な文脈をつかむ訓練が必要です。
子どもが大人の誘導によって成り立っている生活のなかで交わされる日常語をつかって考えをめぐらす段階に留まっていては、自分の感情を整理して冷静に考えたり、自分の立場をこえて他者を推し量ったり、地域的・時代的な制約をとりはらって社会や歴史を俯瞰したりすることは難しくなります。子どもは、読書経験を積むことで日常会話では習得しがたい語彙や書き言葉の論理的な文体、さらには日常を超えた社会的・歴史的な背景知識を身につけ、大人に近づいた視点を手に入れます。
中学入試には、国語や社会の出題を通じて、小学校高学年で、このような一歩大人に近づいた精神的な段階にある生徒を選ぶ側面があります。書き言葉の抽象的な語彙をより多く身につけ、論理的な読み書きができる段階に入った生徒は、「教科書が読め、授業の理解がスムーズである」ため、入試問題の解法をトレーニングしてきた学習経験に留まる生徒よりも、中高生での伸びが期待できるからです。
受験生と学校との相性は、その学校が出題する国語の文章との相性(その学校の国語の過去問で受験者平均点に達することができるか)ではかることができると言われるくらい、各学校が国語の入試問題で要求する「読み書き」のレベル(それは学校ごとに問題形式や難易度だけでなく、出題される文章の選び方も大きく異なります)に注目することで、志望校への合格の道筋が見えてきます。読書習慣によって中学受験に必要な国語力を支える「読み書き」の基盤を作っていくことが、お子様一人ひとりが志望校の国語の入試問題へ照準を合わせていくのにつながります。
入会した頃の算数の週テストは、点数が悪く30点くらいしかとれない時がありましたが、問題集を何回かくり返して解くようにしたら、点数がアップしました。そして週テストのコース認定が以前よりも二つ上がりました。
漢字のテスト勉強は、5回ずつ書いて練習をしたり、国語辞典で意味を調べて調べた言葉と意味をノートに書いたりしました。覚えにくい漢字を何度も書いて覚えて、時間をあけてもう一度覚えたか確認することを、くりかえしてやったら毎回ほぼ満点をとれるようになりました。その勉強は今も続けています。
週テストの週報の『女子成績優秀者』に4回中3回名前がのりました。すごくうれしかったです。今は毎週名前がのるように頑張っています。
同じ問題集を何度もやり直す勉強をすると、やり直すほどにつまずく問題や解法がしぼり込まれ、理解も深くなります。どんな勉強も「自分が一度分かったと思ったこと」を本当に分かったかもう一度確かめる時間をとることがとても大切です。そのとき自分が前に教わったり、調べたりした解き方を思い出すのではなくて、たとえば、その問題が解けないで困っている友達に対して、解き方の順序のつながりが分かりやすい、もっと良い言い方がないか工夫しながら説明するように解くのです。すべての勉強は、「決まった解き方やことばの暗記」=「自分の頭に詰め込むこと」ではなく、「論述」=「人に説明できる(まで理解する)こと」であることが分かると、「暗記」も「説明」とセットで行う習慣がつき、覚えるコツも見つけられるのではないでしょうか。 あなたは、そんな良い勉強ができるようになったからこそ、結果が後からついてきたのです。頑張った結果が出るのは本当にうれしいことですね。しかし、結果が目的になってはいけません。あなたの「良い勉強法」を続けていきましょう。応援します。
中学受験では、平均的に3年以上の準備期間が必要です。そのような長期の学習において、良い結果が出ることだけが子どもの勉強の動機になってしまうと、長い学習の過程で必ずあるといえる結果の出ない時期に挫折しやすくなります。学力が伸びる過程では、次のステップに進むために勉強の仕方を変えていく必要がでてきます。伸び悩みは、次のステップに進むための「気づき」を与えてくれるものです。そのような伸び悩みの時期を成長期と捉えて、「より良い勉強の仕方」にチャレンジさせなくてはいけません。
中学受験の勉強が陥りがちな「競争主義」と「結果主義」に家庭が同調してしまうと、子どもはそんな大人の側の、子ども自身には益のない考え方まで内面化して、時間をかけて間違いながら試行錯誤するより、「問題を深く考えないで正解を覚えてしまいたい」、「早く教えてもらって正解にたどり着きたい」という動機しか持てず、成長の機会を逃してしまいます。お子さんが勉強法を改善する意欲が持てるように、決して大人の基準に立って短期的な結果が出ないことを否定したり、助力しすぎたりせず、子どもの目線に立って、子ども自身が考えて試行錯誤するのを促すことで、勉強方法をステップアップさせていくことが大切です。
ぼくは4年生の2月に塾に入りました。最初は土曜日の長い時間の授業が大変だったけれど、友達と勉強するのが楽しくて、どんどん慣れていきました。
算数は最初まったくわからずに、ついていくのに苦労しました。だから週テストもボロボロでした。でも頑張りました。
今では週テストで算数は毎回70点以上とれるようになっています。
習い事を続けながら、漢字テストのための勉強や宿題に時間がかかりましたが、頑張りました。
反省点はもう少し早くから算数の基礎に力を入れておきたかったということです。
「習ったことを覚えて解く勉強」や「教えてもらいながら解く勉強」は効率がよく進めやすいので、良い勉強方法であるように思うかもしれません。しかし、それは勉強においてとても大事なことを省いているために、「身につかない勉強」になってしまいます。
それでは、どんな勉強をするべきでしょうか。それは、取りくむ問題に対し「自分ならどう解くか」を考えながら、「正解はなぜそう解くのか」を理解して自分の考えに取り入れることによって、「考える力を鍛える」勉強です。教わったことを覚えても、時間とともに忘れてしまい、また教わるしかないという悪循環を断つためには、「自分の考えを修正しながら、より正確に考える力をつける」勉強をしなければならないのです。
中学受験の勉強をはじめたころは、だれもが自分の解き方を考えることより、習ったことを覚えて解こうとがんばってしまいます。「自ら考える」ためには、間違いたくないという恐れより、間違っても何も自分は傷つかないという「自信」をつよく持たなくてはなりません。あなたは、この1年間で思うように結果が出なかったり、それを克服しようと努力したりするなかで、「自分を認める」つよい気持ちを育ててきたのだと思います。これ以上に素晴らしいことがあるでしょうか。 努力がもたらす結果は常に生み出されていて、それに気づくことができる者に力を与えてくれます。人に誇るような結果はその時だけのもので継続しませんが、「一時の結果に左右されない自信を持ち、自分の間違いに目を向けてどう努力すればよいかを考えられる人」は、受験後の中高時代の成長も約束されています。あなたは、そんな人になろうとしています。それは、あなたの十代の初めの経験を共有することができた私たちにとっての大きな喜びであり、励みです。
中学受験において「自ら考える力」が必要であることは言うまでもありません。それにもかかわらず、子どもたちに自ら考えることの弊害になるぼど大量に学習させる指導が大手塾で行われる事実について、よく考えておく必要があります。
たとえば、図形の面積の公式のような「抽象的なパターン」は暗記することができます。三角形の面積は、四角形(その三角形と同じ長さの底辺と高さをもつ平行四辺形、あるいは、それらと同じ長さの2辺をもつ長方形)の面積の半分なので、(底辺)×(高さ)÷2となりますが、台形は四角形であるのに、その面積は(上底+下底)×高さ÷2となり、三角形と同じく「÷2」がつきます。同じく四角形である正方形の面積は、(一辺)×(一辺)でも、(対角線)×(対角線)÷2でも計算でき、初めて面積を学習する子どもたちにとっての「÷2」の謎は深まります。これらの三角形や四角形の面積の公式は、ばらばらのようで本来はつながりがあり、基本的な考え方の延長上に整理できますが、実際には多くの子どもたちにとって「問題を解くために覚えるもの」となっているのではないでしょうか。
たしかに先の「÷2の謎」は、公式を使って解くうちに理解できる時期がくるので、図形の面積の公式に限れば、公式(抽象的なパターン)を暗記した方がずっと効率が良いのかもしれません。しかし、算数全体について言うなら、留意しておくべきことがあります。三角形と四角形の面積の公式を一元的に理解できる力は、算数の根底にある「基本を応用する力」と同じものだからです。基本的な長方形の面積が理解できれば、他の図形については、その応用として自分で具体的な作図をしながら面積の求め方を発見できるのと同じように、すべての算数の応用問題は、基本的な理解をもとにそこから学ぶべきことを発見するように解かなくてはならないのです。算数の力が伸びていく子は皆そのように学習しているように感じます。そんな子どもたちは、ひとしきり考えた後に「あーそういうことか」とつぶやいたり、説明の途中で「もう分かったから、(これより先は自分で解きたいので)教えんといて」と言ったりするようになります。一方まだ自分の考えに自信のない子は、はじめ書いていた答えを自信がなくて途中で消してしまってから、それが正解に近かったことを知って「最初そう思っていたのに(消してしまった)」とくやしがります。しかし、間違うことを恐れて、途中から自分で考えるのをやめていることにこそ、伸びきれていない原因と伸びる余地があることを教えねばなりません。
低学年から上で述べた発見的な学びができる子に限れば、「先取り」や「大量学習」をしても、はじめからパターン化(抽象化)して与えられたものを覚える習慣がつく弊害が少ないのかもしれませんが、そうでないお子さんは、自分で考える自信がまだ育っておらず、そのため「自分で考えて間違うリスクを負うことなく、確実に正解が得られる方法(解き方・パターン・公式)」を聞きたくなるのです。これに同調するように、塾も家庭も「知っていれば正解が得られる方法を与えては、それが定着するまで大量に反復させよう」とします。こうして「忘れることのないようにできるだけたくさん解かせたい」と思う塾と家庭が、「それでもできない(忘れてしまう)自分はだめだ」と思う子を生み出してしまうことがあります。
自分がノートに描いてみた正方形のような具体的なものに、(対角線)×(対角線)÷2という面積の公式のような抽象的な性質を発見するように、具体と抽象を往復して、そのつながりを考えることができるためには、そうした考えを自分のことばで言い表すことができる「ことばの力」が育たなければなりません。ことばの働きそのものである、具体から抽象にいたる道筋を考える力は、はじめから抽象化されたパターンを大量に反復して記憶することでは身につきません。「自分のことばで自信をもって、自分の考えを語る」ことができる子は、ノートの上でもテストでも、「間違わないこと」よりも、自分の力で試行錯誤した、自分から語りたくなるような経験を大事にすることを教えられ、励まされている子どもです。
塾からのメッセージ
計算・漢字を勉強の中心におくことで、勉強をする習慣と姿勢が確立します。これだけで中学受験に必要な学習の半分以上をクリアできたことになります。あなたは、自分のできることが増えたことに気が付き、『自信』を持つことができたことでしょう。
あなたが『自主学習』を始めたのは、この『自信』のあらわれです。じつは、この『自主学習』こそが、学力向上のポイントです。この「やらされるのではない勉強」が、解らない大量の宿題をやることの何倍もの力をつけてくれます。あなたのように、自分でできることが増えていく経験を積むことが、「良い中高生」なる確かな道であり、中学受験の本当の目的なのです。あなたの『自主学習』がさらに、さらに充実していくよう一緒に頑張っていきましょう。
保護者の皆様へ
計算・漢字の勉強からできる実感を持たせ、伸びる基盤をつくりましょう。
お子さんが自分でできることが少しずつ増えていくように、学習を進めることが重要です。小学校の学習内容が定着してくると、お子さんは進んだ勉強内容にも興味を持ち始めます。そのタイミングが、学習に力を入れる好機です。まず、中学受験のカリキュラムに沿って、学年より進んだ計算・漢字の学習を行うことを通じて、学習習慣と数量の感覚や漢熟語の語彙を身につけることができ、お子さんがさらに伸びていく基盤づくりができます。